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ドライブマイカーは気持ち悪い!?作品の魅力を解説

「気になる映画だけど、検索すると“気持ち悪い”って出てくる…。本当に観る価値があるの?」そんなふうに迷っているあなたへ。確かに、『ドライブ・マイ・カー』は、ただの感動作とは言い切れません。静かに流れる時間、交わされる言葉の裏に隠された感情、登場人物の心の奥底に沈む影…。そのすべてが、観る者の心をざわつかせるのです。

でも、それは決して不快な“気持ち悪さ”ではなく、むしろ「心を揺さぶる違和感」。普段、私たちが目を逸らしがちな“喪失”や“再生”の瞬間が、赤いサーブ900の車内で静かに紡がれていきます。主人公・家福悠介が、亡き妻の秘密と向き合いながら、一人のドライバー・みさきと共に少しずつ心を開いていく旅。その過程は、観る者にまるで自分自身が誰かと深く向き合っているような感覚をもたらします。

この映画を観終えたとき、あなたの心には何が残るでしょうか? 不安や違和感があるならこそ、一歩踏み出してほしい。この物語は、あなた自身の“言葉にできなかった感情”を、静かに拾い上げてくれるかもしれません。

ドライブマイカーは気持ち悪い?あらすじを解説

ドライブマイカーのあらすじ

舞台俳優であり演出家の**家福悠介(かふく・ゆうすけ)**は、愛する妻・音(おと)と平穏な日々を過ごしていた。しかし、ある日、妻が突然この世を去ってしまう。彼女の死後、家福は妻が生前に抱えていた秘密を知ることになり、喪失感と向き合うことになる。

それから2年後、家福は広島での演劇祭に招聘され、そこで「ワーニャ伯父さん」の演出を担当することになる。仕事のために提供された赤いサーブ900を運転することを禁じられ、寡黙な専属ドライバー**渡利みさき(わたり・みさき)**が付き添うことになる。最初は彼女に心を開かなかった家福だったが、日々のドライブを通じて、次第に彼女の過去や自身の心の傷と向き合い、癒されていく。

二人の心の交流が進む中、家福は妻の不倫相手だった俳優**高槻(たかつき)**とも向き合うことになり、過去と現在を繋げる新たな旅へと踏み出していく――。

村上春樹の短編小説を原作とし、濱口竜介監督が映画化した本作は、喪失と再生、そして人間の内面に深く迫るヒューマンドラマとなっている。

気持ち悪いとの意見

1. 性的なシーンが多く描写される

登場人物である音には、「行為」をすることで、ある声が聞こえてきます。その為、必然的にそのような行為のシーンが多く描写されています。それが、観ている観客にとって、気持ち悪いと言われている要因になっているのでしょう。

2. 登場人物の感情の抑制

主人公・家福悠介は、妻の死や彼女の裏切りに対して極端に感情を表に出さない人物です。その冷静すぎる態度が、観る者に「本当に悲しんでいるのか?」「何を考えているのかわからない」という違和感を与え、結果として「気持ち悪い」と感じさせる要因になっています。

3. 妻の死と不倫というミステリアスな要素

家福の妻・音は、彼の知らないところで別の男性と関係を持っていました。彼女の死後、その事実を知った家福が、不倫相手だった若手俳優・高槻と対峙することで、観客も彼と共に「真相を知ることの恐ろしさ」や「人間の心の複雑さ」を突きつけられます。この感覚が「気持ち悪さ」として表れることがあります。

良さがわからないとの声もある

『ドライブ・マイ・カー』は、結論を押しつける映画ではありません。「このキャラクターはこういう気持ちだったんだよ」と、明確に説明するシーンはほとんどなく、観る側に「登場人物の心情を想像し、考える余地」を与えます。

そのため、観る人の心の状態や人生経験によって、感じ方が大きく変わる映画でもあります。もし「良さがわからない」と感じたとしても、それは決して異常なことではなく、むしろ「自分がまだこの物語の持つ感情に共鳴するタイミングではなかった」ということかもしれません。

この映画の魅力は、「観終わったあとに、じわじわと考えさせられる」という点にあります。最初は何も感じなかったとしても、後になって「あの沈黙にはこんな意味があったのかもしれない」と気づくことがあるのです。

『ドライブ・マイ・カー』は、派手な展開やわかりやすいストーリー展開を求める人には確かに向いていないかもしれません。しかし、静かな物語の中で登場人物たちが抱える心の傷や再生の過程にじっくりと向き合うことで、「言葉にならない感情」をすくい上げる体験ができます。

ドライブマイカーには気まずいシーンがある?

『ドライブ・マイ・カー』には、性的なテーマが絡むシーンはありますが、それはあくまで物語の一部であり、単なる刺激的な描写ではありません。むしろ、人間関係の複雑さや、愛と喪失の感情を描くための重要な要素として機能しています。

もし「性的なシーンが苦手」という場合でも、それらは過剰に露骨なものではなく、映画全体のトーンとして静かで抑制された描かれ方をしているので、観る際にはそれほど大きな障壁にはならないと思われます。

親と一緒に観る際には気まずさを感じるかも知れませんので注意してください。

ドライブマイカーのサーブ900

ドライブマイカーのイメージ画像:シネマルチ作成

音の浮気相手は誰?

映画『ドライブ・マイ・カー』において、家福悠介(西島秀俊)の妻・音(霧島れいか)の浮気相手は、俳優の高槻耕史(岡田将生)です。

物語の序盤では、音が夫の留守中に誰かと密会していることが示唆されるものの、具体的な相手は明かされません。しかし、後に家福が広島での演劇祭に招聘された際、高槻もそのプロジェクトに参加しており、二人の関係が徐々に明らかになっていきます。

浮気相手が高槻であることが示されるシーン

1.家福と高槻の会話

高槻は、家福に対して音のことを話しながら、彼女に対する特別な想いを滲ませます。特に、音が語っていた「未完の物語」について言及する場面では、音と親密な関係にあったことが示唆されます。

2.音が亡くなった後の家福の心情

家福は、妻が他の男と関係を持っていたことを知りながら、彼女を問い詰めることも、別れを決断することもできなかったという葛藤を抱えています。音が亡くなった今、その問いの答えを知ることもできないまま、彼は高槻と向き合わざるを得ません。

3.高槻の発言と行動

高槻は家福に対し、「音のことを深く知りたかった」と話し、彼女との関係を間接的に認めるような態度を見せます。彼の感情は単なる浮気相手以上のものだったことが伺えますが、それでも音が最後まで家福のもとを離れなかったことを考えると、彼にとっての音は「完全に手に入れられなかった存在」だったのかもしれません。

ドライブマイカーに出てくる車は何?

映画『ドライブ・マイ・カー』に登場する車は、**サーブ900 ターボ(SAAB 900 Turbo)**です。

車の特徴

•メーカー:スウェーデンのサーブ(SAAB)

•モデル:900 ターボ(おそらく1990年代モデル)

•カラー:赤

•駆動方式:前輪駆動(FF)

•ボディタイプ:ハッチバック(映画では2ドアモデル)

 

ドライブマイカーが気持ち悪い?基本情報を解説

原作

映画『ドライブ・マイ・カー』の原作は、**村上春樹の短編小説『ドライブ・マイ・カー』**です。この作品は、短編集『女のいない男たち』(2014年刊行)に収録されています。

原作の概要

•著者:村上春樹

•収録作品:短編集『女のいない男たち』

•発表年:2014年

キャスト

映画『ドライブ・マイ・カー』の主要キャストは以下の通りです。

主要キャスト

1. 家福悠介(かふく・ゆうすけ) - 西島秀俊

主人公。舞台俳優であり演出家。妻の死と向き合いながら、新しい演劇プロジェクトのため広島へ向かう。

2. 渡利みさき(わたり・みさき) - 三浦透子

無口で冷静な専属ドライバー。過去に抱えたトラウマを持ちながらも、家福との交流を通じて成長していく。

3. 高槻耕史(たかつき・こうじ) - 岡田将生

若手俳優で、家福の妻・音と関係を持っていた人物。過去にスキャンダルを抱えながらも、家福の演出する舞台に参加する。

4. 家福音(かふく・おと) - 霧島れいか

家福の妻。夫を愛していたが、浮気をしていた。突然の病により亡くなる。

スタッフ

映画 『ドライブ・マイ・カー』 の主なスタッフは以下の通りです。

主要スタッフ

•監督・脚本:濱口竜介

•共同脚本:大江崇允

•撮影:四宮秀俊

•編集:山崎梓

•音楽:石橋英子

ドライブ・マイ・カーで手話を使っている女優は誰?

映画『ドライブ・マイ・カー』で手話を使って演技をしている女優は、パク・ユリム(朴有林, Park Yu-rim) です。

パク・ユリムの役柄

•役名:イ・ユナ

•特徴:韓国の手話(KSL:Korean Sign Language)を使う聴覚障害のある女優

•劇中の役割:家福悠介(西島秀俊)が演出する多言語演劇『ワーニャ伯父さん』に出演する。

ドライブマイカーは気持ち悪い?手話シーン

ドライブマイカーイメージ画像:シネマルチ作成

ドライブマイカーを気持ち悪いと思う理由と疑問まとめ

「気持ち悪い」と感じる理由は、映画の静かな語り口や、登場人物たちの抑制された感情、長い沈黙にあるかもしれません。また、過去の喪失や未解決の感情に向き合う主人公の姿が、観る人に不安や違和感を与えることもあります。しかし、それこそがこの映画の魅力であり、「言葉にならない感情をどう受け入れるか」 という深いテーマにつながっています。

この映画は、単に分かりやすい感動やカタルシスを与えるものではなく、観る人に「自分ならどう向き合うか?」を問いかける作品です。もし、少しでも気になっているなら、その違和感ごと映画の世界に身を委ねてみてください。観終わったとき、あなたの心にはきっと、言葉にできない何かが残るはずです。

 

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